同じイエスキリストを信じ、教会に行ってお祈りや集会をするのに一体何が違うのでしょうか?
1. 歴史
3. プロテスタントの教派
4. 学校でみてみよう〜ミッションスクール
5. プロテスタントと分けられないところ
6. 芸術作品や音楽でみてみる
7. 最後に
1. 歴史
カトリックでは神父さんが居てミサを行いますが、プロテスタントでは牧師さんが礼拝をしています。
大切に扱う聖書も全く同じですよね。元々はキリスト教と言えばカトリックしか無かったのですが16世紀にマルチンルターという神父が登場して、それまでの考え方に抗議する形で異論を唱えたのがプロテスタントの始まりです。
ペストの蔓延で人々が死を恐れ救いを求める風潮のなか、教会が発行した免罪符を購入すれば救われるとの是非が発端でした。当時、聖書はラテン語でしか書かれていなかった為、一部の知識人にしか読まれませんでしたので一般の人は話を聞いたり、聖書の内容を分かりやすく絵にしたもので理解するしか方法が有りませんでした。
学校教育など無い時代ですから、字を読めないのは仕方有りませんね。所がルターは自ら聖書をドイツ語に翻訳し、時を同じくしてグーテンベルクが発明した活版印刷で複写した為、人々は自分で読む事が出来るようになり聖書理解が一気に広まりました。
従って聖書解釈も可能になったのでルターの唱える聖書に戻れとの主張に賛同する気運が拡散し、其までのローマ教皇を頂点とするカトリックに対抗するまでに至ったのです。歴史上これを宗教改革と呼んでいます。
イエスが十字架につけられ死んだ後にぺテロを筆頭に12人の弟子達がキリストの言葉や行動を福音として各地に伝道して広めたカトリックは、当初ローマ帝国から幾多の迫害を受けていたにも拘わらずパウロ等の布教活動が実を結び国教として認められる迄になったのです。
そして1500年もの間、勢力を拡大し、西欧の政治、文化に多大の影響を与えました。他方プロテスタントでは英国でのヘンリー8世による国教会の独立などを初めとし幾つものグループに分派して現在に至っています。カトリックは組織がピラミッド型で一本化され纏まっているのが特徴でミサのやり方も伝統的で固定されてるのに対し、プロテスタントでは教会組織は多種多様ですが、近年相互の歩み寄りの動きが顕著です。伝え方の相違が有るだけ故、当然ですが一般の人にも分かりやすくするのは大切ですね。
キリストの弟子であったぺトロ以下12人の使徒が福音(良い知らせの意味)を世界に広め始めたのがカトリックキリスト教です。その後多くの迫害に合いながらも、パウロ等の伝道努力が実りローマ帝国の国教とされローマカトリックとして確立されるに至った。しかし永く国家権力と結び付いた影響から、イスラム教世界を攻撃した十字軍遠征を起こしたり,ペストが蔓延した中世には教会発行の免罪符を購入すれば誰でも天国に行けるなどの拝金思想にまみれた事も起こった。この様な背景からドイツの司祭であるマルチンルターが登場し1517年95箇条からなる提言をし、キリスト教の聖典である聖書の教えに立ち返れと異論を唱えた。それ故、抗議するとの意味からプロテスタントと呼ばれた。カトリックがローマ教皇を頂点にしたピラミッド型組織(階層組織)を大事にし、古くから行われた教会儀式を守り続けているのに対しプロテスタントは聖書を最も大切とみなし、信徒が個々に神と対峙して築き上げる点に信仰上の特徴がある。元々同じキリスト教であるが、別々の反省や改良の道を歩んで進展して行った。その結果、違いを乗り越えて、近年は歩みよりの姿勢が鮮明だがカトリックが比較的一つに纏まっているのに対しプロテスタントは幾つにも分かれていて難しい実際面もある。しかし一般の人から見て容易に理解してもらう努力はこれからも期待される。身近な例では、ミサを行う聖職者をカトリックは神父と呼び、未婚の男性のみに認可されるのに対し、プロテスタントでは男性でも女性でも共に牧師と呼び結婚も許される違いも有るのでどの様な統合を計って行くかも課題だろう。しかし共にキリストを信じ隣人を愛せとの教えを大切にする点では何等、違いは無いことを忘れてはならない。
3. プロテスタントの教派
では実際にプロテスタントは、どの様な団体に分かれているかを以下に示してみます。全てを掲げてはいませんが、何れの教派も16世紀初めの宗教改革以降漸次発生したものであるのは言うまでもない。
1.聖公会系:イングランド国教会の系統に属する教派。聖公会は自らを、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間として位置づけ、そのことから「中道」の教会であると自認している。
2.ルーテル派:聖書を信仰の中心・基礎とし、神の恵みの前にすべての人は平等であり、イエス・キリストの十字架と復活によって人は救われるという「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という宗教改革の三大原理を基本としています。
3.改革派.長老派:聖書を誤り無い神のことばとして文字通り受け取り、人工妊娠中絶、同性愛、ギャンブルを拒絶する。讃美は詩篇歌、ジュネーブ詩篇歌である。
4.バプテスト派:バプテスマ(浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来しており、イングランド国教会の分離派思想から発生したプロテスタントの一教派。 個人の良心の自由を大事にする。
5.改宗派:フルドリッヒ・ツヴィングリを指導者としてスイスのチューリッヒに始まり、ジュネーヴのフランス人ジャン・カルヴァンを中心とした世代に体系づけられたスイス宗教改革の神学と、それに基づく段階的な会議...
6.メソジスト:18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。日本では美以教会とも言われていた。
7.ホーリネス:聖化を指す語であり、特にこれを強調する教派の呼称とされることが多い。 日本では中田重治監督を指導者とした信仰・運動・教派・教会について呼ばれる。
8.聖公会系きよめ派
ホーリネス運動は、キリスト教・プロテスタントのムーブメントのひとつ。この運動の結果として生まれた諸教派は「聖潔派」「きよめ派」とも呼ばれる。かつては純福音派とも呼ばれた。
出典:ja.m.wikipedia.org
参考までにプロテスタントの 諸教派一覧を掲げました。
ドイツ合同福音ルター派教会
ルター派教会ミズーリ・シノッド (Lutheran Church - Missouri Synod)
日本福音ルーテル教会 (Japan Evangelical Lutheran Church )[1]
日本ルーテル教団 (Japan Lutheran Church)
(Lestadians)
*改革派教会 (Reformed churches)
ツヴィングリ派
カルヴァン派 (Calvinism)
長老派教会 (Presbyterian Church)
会衆派教会 (Congregational church)
オランダ改革派教会 (Dutch Reformed Church)
根本的宗教改革(宗教改革急進派) (Radical Reformation)
アナバプテスト
アーミッシュ(アマン派)
ブラザレン教会(Church of the Brethren)
フッター派(フッタライト) (Hutterites)
メノナイト派 (Mennonites)
アフリカ独立教会 (African Independent Churches) (AICs)
*バプテスト派
日本基督教団新生会(戦後教団から独立しなかったバプテスト派のグループ)
ジェネラル・バプテスト (General)
パティキュラー・バプテスト (Particular)
セブンスデー・バプテスト (seventh-day baptists)
米国バプテスト同盟(旧称 北部バプテスト同盟)(American)
南部バプテスト連盟 (Southern)
*メソジスト
ウェスレー派 (Wesleyanism)
メソジスト・プロテスタント (Methodist Protestant)
アフリカ・メソジスト (African Methodist)
ユナイテッド・メソジスト (United Methodist)
メソジスト・エピスコパル (Methodist Episcopal)
(A.M.E. Church)
(A.U.M.P. Church)
(U.A.M.E. Church)
*ホーリネス教会 (Holiness)
イムマヌエル綜合伝道団 (Immanuel General Mission)
ペンテコステ派 (Pentecostalism)
(Assembly of God)
*純福音派
単立教会系及び合同教会系
日本キリスト合同教会
その他の教派
クエーカー(キリスト友会)(別名 — aka Quakers)
クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンス
カベナント派
無教会主義
自由キリスト教(ユニテリアン、ユニヴァーサリスト、普及福音教会)
新教会(新エルサレム教会、スヴェーデンボリ派)
エヴァンジェリカル・オーソドックス教会
メトロポリタン・コミュニティー・チャーチ
出典: ja.m.wikipedia.org
4. 学校でみてみよう!
日本では一般的にミッションスクールと呼ばれる、学校や大学が存在します。
正しくはキリスト教系大学と呼ぶべき名称だが、多くは欧米諸教会の伝道局(ミッション)によって設立されていた事から代名詞として現在も一般的に使われている。東京周辺の具体的な学校名を示すと同時に日本全土では幾つ位、有るのかを示してみました。
出典:ja.m.Wikipedia .org
【■東京近郊】
[大学]
カトリック学校や大学と言えるのは担当地区の司教に認められた学校だけで上智大学,白百合女子大学、聖マリアンナ医科大学、聖心女子大学等が有名です。プロテスタント系では東京女子大学、国際基督教大学、立教大学、青山学院大学、明治学院大学などが有名です。近年ではミッションからの独立が進み宗教色を薄めてるので、キリスト教主義学校となっている。
[高等学校&中学校]
カトリック系:栄光学園中学校;高等学校、暁星中学校;高等学校、サレジオ学院中学校;高等学校、田園調布双葉中学校;高等学校、
プロテスタント系:青山学院中等部;高等部、聖学院中学校;高等学校、フェリス女学院中学校;高等学校、明治学院中学校;東村山高等学校、清和女子中学校;高等学校、
[小学校]
カトリック系:カリタス小学校、サレジオ小学校;中学校、聖心女子学院初等科;中等科;高等科、田園調布双葉小学校、
プロテスタント系:青山学院初等部,関東学院小学校、東洋英和女学院小学部、聖学院小学校、
[幼稚園]
カトリック系:田園調布双葉小学校附属幼稚園、白百合学園幼稚園、暁星幼稚園、カリタス幼稚園、
プロテスタント系:横浜英和幼稚園、東洋英和幼稚園、青山学院幼稚園、桜美林幼稚園、
出典:ja.m.Wikipedia .org
ミッションスクール(含む大学)
現在、日本のキリスト教学校に学ぶ学生、生徒、児童、園児数は60万人近い。キリスト教学校教育同盟では100法人、約270校で約35万人(除幼稚園)、日本カトリック学校連合会では約300校、約15万人(幼稚園児75,000人含む)。
東京、神奈川周辺のプロテスタント系各学校の創立年と学校名を記す。宣教師達は女子教育に力を注いだ。
明治21年までに作られた女学校の6割がミッション系であった。
フェリス女学院(1870年明治3年)
女子学院(1870年明治3年)
搜真学院(1886年明治19年)
普連土学園(1887年明治20年)
津田英学塾(1900年明治33年)
日本聾話学校(1920年大正9年)
恵泉女学園(1929年昭和4年)
桜美林大学(1946年昭和21年)
国際基督教大学(1949年昭和24年)
横須賀学院(1950年昭和25年)
玉川聖学院(1950年昭和25年)
草苑学園(1954年昭和29年)
などである。
(東京都内限定大学)
キリスト教系の大学は東京都内に全部で15校あります。(所在地が東京都のみ関東圏除く)
内、カトリック系のキリスト教の大学が5校。プロテスタント系のキリスト教の大学は全部で10校となります。青山学院大学、上智大学、明治学院大学、立教大学の4大学を首都圏キリスト教系4大学と呼んだりしています。詳しくは下記のリストをご覧ください。
上智大学(東京)
聖心女子大学(東京)
清泉女子大学(東京)
白百合女子大学(東京)
東京純心大学(東京)
青山学院大学(東京)
立教大学(東京)
明治学院大学(東京)
東京女子大学(東京)
東京神学大学(東京)
国際基督教大学(東京)
聖路加国際大学(東京)
自由学園最高学部(東京)
恵泉女学園大学(東京)
桜美林大学(東京)
【日本全体】
プロテスタント系大学(キリスト教学校教育同盟)が57校、カトリック系大学(日本カトリック学校連合会)が18校有る。日本の場合は全てヨーロッパ(西方)教会系で東方教会系のものはない。
またミッションスクールではないが津田塾大学や玉川大学などは創立者が信徒で一部関連の教育をしたり礼拝堂を備えた私立大学もある。また国立大学の中にも、創立期クラーク博士によりキリスト教に基づく教育がなされ、現在でも考え方が引き継がれている北海道大学や、国立大学でたった一つ、文学部と大学院でキリスト教を専門で学べる京都大学なども存在する。
出典: ja.m.Wikipedia .org
http://www.catholic-u.jp/kameikou.html
日本カトリック大学連盟加盟大学における学び領域
(カトリック系大学)
藤女子大学(北海道)
天使大学(北海道)
仙台白百合女子大学(宮城)
上智大学(東京)
聖心女子大学(東京)
清泉女子大学(東京)
白百合女子大学(東京)
東京純心大学(東京)
清泉女学院大学(長野)
南山大学(愛知)
京都ノートルダム女子大学(京都)
神戸海星女子学院大学(兵庫)
ノートルダム清心女子大学(岡山)
エリザベト音楽大学(広島)
聖カタリナ大学(愛媛)
聖マリア学院大学(福岡)
長崎純心大学(長崎)
鹿児島純心女子大学(鹿児島)
(プロテスタント系大学)
酪農学園大学(北海道)
北星学園大学(北海道)
弘前学院大学(青森)
盛岡大学(岩手)
北陸学院大学(石川)
敬和学園大学(新潟)
宮城学院女子大学(宮城)
尚絅学院大学(宮城)
東北学院大学(宮城)
茨城キリスト教大学(茨城)
共愛学園前橋国際大学(群馬)
青山学院大学(東京)
立教大学(東京)
明治学院大学(東京)
東京女子大学(東京)
東京神学大学(東京)
国際基督教大学(東京)
聖路加国際大学(東京)
自由学園最高学部(東京)
恵泉女学園大学(東京)
桜美林大学(東京)
フェリス女学院大学(神奈川)
関東学院大学(神奈川)
東洋英和女学院大学(神奈川)
東京基督教大学(千葉)
三育学院大学(千葉)
聖学院大学(埼玉)
名古屋学院大学(愛知)
金城学院大学(愛知)
山梨英和大学(山梨)
聖隷クリストファー大学(静岡)
静岡英和学院大学(静岡)
中部学院大学(岐阜)
同志社大学(京都)
同志社女子大学(京都)
平安女学院大学(京都)
梅花女子大学(大阪)
桃山学院大学(大阪)
桃山学院教育大学(大阪)
大阪女学院大学(大阪)
神戸女学院大学(兵庫)
関西学院大学(兵庫)
神戸国際大学(兵庫)
神戸松蔭女子学院大学(兵庫)
広島女学院大学(広島)
梅光学院大学(山口)
松山東雲女子大学(愛媛)
四国学院大学(香川)
福岡女学院大学(福岡)
福岡女学院看護大学(福岡)
西南学院大学(福岡)
西南女学院大学(福岡)
九州ルーテル学院大学(熊本)
長崎ウエスレヤン大学(長崎)
活水女子大学(長崎)
長崎外国語大学(長崎)
沖縄キリスト教学院大学(沖縄)
出典: religio.jp
地方には多くのミッションスクールが存在し、山梨英和、静岡英和や雙葉がある。関西には関西学院、同志社、福岡には福岡女学院や福岡雙葉、熊本では九州学院、鎮西学院、鹿児島にはラサール高校、四国には愛光学院など、いずれも名門校。
5. プロテスタントでは分けられないところ(東方正教会など)
東方教会はキリスト教系の教会の一つで、ギリシャ正教もしくは正教会とも呼ばれる。ローマ帝国が東西に分裂した際の東ローマ帝国の基で分岐した教会を起源としています。教義で神聖なものと一般世俗世界とを区別し、また政治と宗教をはっきり分離しているカトリックとは異なり、東方正教会では全て反対に聖俗一致、政教一致、霊肉一致(魂と肉体)を特徴としている。
また自分達を使徒の子孫とみなし、1世紀の初代教会にさかのぼるとしている。例外はあるが、正教会の組織は国名もしくは地域名を冠した組織を各地に形成するのが基本とされる。
出典:ja.m.wikipedia .org
6. 芸術作品や音楽ででみてみる
西洋美術史は、キリスト教を抜きに語ることはできません。17世紀バロック芸術発展の背景にも、当時のヨーロッパで起こった宗教戦争が影響しました。カトリックとプロテスタントの争いです。
この争いは、カトリック教会の象徴とも言えるサン・ピエトロ大聖堂の改築工事が発端となりました。当時のローマ教皇であったレオ10世(在位:1513~21年)は、その莫大な改築資金を調達するために、贖宥状(免罪符)の販売を進めます。
しかし、この聖書に根拠のない贖宥状の販売は、カトリック教会に懐疑的になっていた北ヨーロッパの人々の心を離反させることになります。そして1517年、マルティン・ルターがカトリック教会を批判し、宗教改革の狼煙をあげることになるのです。これが、聖書を絶対的権威とする福音主義の「プロテスタント」誕生の瞬間でもありました。
その後、この宗教改革は、イングランドにおいてヘンリー8世がローマ教皇庁から離反した英国国教会を作るなど、ヨーロッパ社会を二分する大騒動となります。そして、聖書にあるモーセの十戒に背くとして、宗教美術を否定するプロテスタントたちによる、カトリックの聖堂や修道院の宗教美術を破壊する聖像破壊運動(イコノクラスム)が起こるのです。
この頃のカトリック教会の状況を振り返れば、こうした宗教改革が起こったのも当然だったと頷けます。当時のカトリックの上級聖職者には、まるで王侯のように権力と財力が集中していたからです。
たとえば、ルネサンス時代からバロック時代にかけて、歴代のローマ教皇の多くはイタリアの名家出身であり、現代人が想像するローマ教皇のイメージとはかけ離れた存在でした。そして、甥や庶子やその孫を枢機卿にするなどネポティズム(縁故主義)が横行していました。聖職者一族というよりも、日本の戦前までの大財閥や総理大臣を輩出したような名門政治家一族をイメージするとわかりやすいでしょう。世襲制が多い政治家に不信感を抱くように、多くの人がこうした状況のカトリック教会、そして聖職者たちに期待をしなくなっていきました。
実際に多くの聖職者たちは堕落した生活を送っており、そうした状況に対して、真面目な北ヨーロッパの商人階級の間で「聖書にこそ権威がある」とするプロテスタンティズムが浸透しても不思議ではなかったのです。
宗教改革によって、信者だけでなく収入も激減したカトリック教会は反撃に打って出ます。1540年、教皇パウルス3世はイエズス会を認可し、全世界へ布教伝導の徒を放ちました。フランシスコ・ザビエル(1506~52年)が戦国時代の日本へ来日したように、1549年以降、イエズス会は日本でも積極的にキリスト教を広めていきます。
さらに、パウルス3世は北イタリアのトレントで公会議を開催し、プロテスタントの主張を否定する一方で、ローマ教皇庁の改革を推し進めました。プロテスタントを牽制すると同時に、カトリック教会も自己革新運動(対抗宗教改革)を進めたのです。
1545年から1563年にかけて、計25回開催されたこの会議では、美術史に大きな影響を与える決定も下されました。まず、会議の結果、宗教美術自体は崇敬の対象ではないため偶像ではないとされます。そして、その表現には、誰でも一目見れば理解できる「わかりやすさ」と「高尚さ」を求めるよう決められました。宗教美術に対して厳しい態度を取るプロテスタントとは反対に、カトリックはより一層、美術の力に頼るようになったのです。
そして、教会芸術の変革が開始されていきます。そして生まれてきたのが「バロック美術」です。バロック美術では、それ以前の宗教美術に比べると、より見る者の感情、感覚に訴える表現がなされていることがわかります。聖書中心のプロテスタントとは違い、カトリック教会は、感情・信仰心に訴えることによってさまざまな奇蹟を、字が読めない人が多かった信者たちに信じさせる必要があったからです。
また、聖人崇拝に好意的ではないプロテスタントへの反動で、多くの聖人画も描かれるようになりました。カトリック教会が宗教美術の力を利用したのは現代でいうメディア戦略であり、「宗教画=目で見る聖書」によって、わかりやすく、そして劇的に信者の宗教心に訴え帰依させようとしたのでした。出典: www.oricon.co.jp
イタリア中心に栄えたルネサンス期に現れたダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロのような天才芸術家時代はカトリックの影響のみだが宗教改革後はプロテスタント派の影響も出て
アルブレヒト;四人の使徒、グリュウネベルト;イーゼルハイムの祭壇画、レンブラント;福音書記者マタイと御使い、十字架を立てる、などが描かれた。他方カトリック側もトリエント公会議をきっかけに益々激情的、豪華絢爛を強調するようになりベッテェリオ;聖母被昇天、ブオナローティ;最後の審判、の壁画やメディチ家礼拝堂、等の彫刻が挙げられる。特に女性の身体を描くのにクラナーバ;アダムとエバ作品に見られるようにぽっこりおなか、細い手足、柳腰が強調され始めた。当時、聖書はラテン語で書かれていたので、多くの信者が字は読めなかった事から絵画や彫刻の表現で聖書理解を促進していた。しかしルターが自身でドイツ語に翻訳しグーテンベルクの活版印刷の発明と相まって聖書が爆発的に民衆に広まった事からも、芸術作品の描きかたに多大の影響を及ぼしたであろう。
https://www.google.com/amp/s/diamond.jp/articles/amp/144054 より
7. 最後に
元々、唯一全能の神を信じ、キリストの話した内容とその行動を深く信じて行く姿勢はカトリックもプロテスタントも同じです。人々に良い知らせを伝えて行くのに、何を優先させて行くかだけの違いです。違いを強調すると難しいと思うかも知れませんが、隣人を愛しなさいとの教えを大事にする点においては全く差は有りません。つまり自分を謙虚にして他人を大切にすれば、あなた方も立派なクリスチャンに成れる事を忘れないで下さい。大人に成長するに連れて周辺の違いに対する感じ方は異なるでしょうが、大切なのは何時も私たちを見ている神様の前で正しい人間として振る舞う努力を続けることです。簡単な様でとても難しい事ですが、皆さんも頑張りましょう!
プロテスタントとカトリックの共通点として、7つ(イエス・キリスト、聖書、主の祈り、三位一体、洗礼、聖餐)挙げられます。これはキリスト教の根幹なのでプロテスタントやカトリック以外の宗派にも共通していることが多くキリスト教徒は皆な兄弟姉妹の関係と言われるゆえんです。